今日のイッピンは葡萄です。
最古の記録はメソポタミア文明
ぶどうが私たちの歴史上に文字として登場するのは、紀元前3500年頃のメソポタミア文明が最古とされています。当時使用されていたくさび文字が刻まれた壁画には、ぶどうのことが記録されているだけでなく、遺跡の中にもぶどうの果汁を搾る石臼が発見されており、単なる食用としてだけでなく、飲料としても利用されていたことが窺えます。
さらに時代が進み、紀元前3100年頃に作られたと推定されるエジプトの墳墓からは、ぶどうを並べ埋葬されている痕跡が発見されており、貴重価値の高い存在であったことが想定されます。
日本における葡萄の歴史
縄文時代の遺跡「三内丸山遺跡」からぶどうの種が多く発見されたことにより、日本におけるぶどうの歴史は縄文時代であると言われています。当時利用されていた土器の形から推測すると、ぶどうは食用だけでなく、すりつぶし発酵を加えた現在のワインのように利用されていたのではないかと言われています。
しかし、現在のように甘みがあるのではなく、酸味や苦味の方が強かったと言われています。現代のようなおいしいぶどうの始まりは、「甲州」と呼ばれる山梨県固有の品種ですが、発祥については諸説あります。